『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』イギリスで暮らす日英ハーフの少年から見た社会【読書ノート】

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こんにちは、CafuneBooksの池野花です。

今回、紹介する本は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。
話題になっていた本なので、タイトルを聞いたり、すでに読んでいたりする方も多いかもしれない。

音声で聴きたい方は、こちらからポッドキャストに飛べます。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』はどんな本?

著者のブレイディみかこさんは日本人で、渡英後にアイルランド人と結婚。
夫との間には、息子が一人。

息子は、小学校まではカトリック系の学校に行っていた。
その学校はさまざまな人種がいたものの、レイシズム(差別)はない平和な学校。
しかし、ひょんなことから息子は、白人の労働階級が多い元底辺中学校(荒れている学校)に進学することに。

そこには、さまざまな人種、貧富の差により、複雑なレイヤーに分かれた子どもたちが集まる。
そこで起きるさまざまな出来事やいさかいを息子は母に話し、母と息子が対話するという形式で進んでいく。

日本で暮らしているとイメージがわきにくい、多様な人種の人々が暮らすイギリスの話を、著者が前提となる社会風景をわかりやすく解説しているので理解しやすい。
そして、カオスな社会の中で、素直な子どもの目線から語れる率直な意見が、読者の理解を手伝ってくれます。

大人が読んでも興味深い本ですし、中学・高校生にもおすすめの本。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の面白さ

私が感じた、この本の面白さは移民の多い国のリアルがわかること。
イギリス、もしかするとヨーロッパ全般で言えることかもしれない。
著者の息子が、いさかいの当事者になる場面もあったり、友達同士のいさかいを第三者目線で見る場面があったりする。
それだけ、さまざまな面での差が生まれやすい社会なんだなと感じる。

そして、息子くんが深い一言をぽつりというのもポイント。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』というタイトルもそう部。
なんとなく意味は予測がつくかもしれないが、この言葉が本書の絶妙なタイミングで出てくるので、そこも注目して読んでみると面白い。

本書は、息子との会話を通じて、その内容をブレイディさんが解釈している部分が多い。
そこで本書全般に通じる考えだと感じたのは、「エンパシー」と「シンパシー」との違いだ。

エンパシー
他人の感情や経験を理解する(知的な作業)

シンパシー
他人の感情や経験を聴くことで、同情や共感する(感情面で寄り添う)

学校の授業で、エンパシーの意味を問われた息子はこんな回答をする。
エンパシーとは他人の靴を履いてみること

こうした授業を、中学校1年生で学校で教わる。
それだけ多様性のある社会なんだと実感する。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』への私的感想

本書は、少し感情移入して読んでしまう部分があった。
実は、私は父が韓国人(韓国生まれ韓国育ち)、母は日本人のいわゆるハーフであり、著者の息子と同じ立場だから。

父が留学生として日本に来たときに母と出会い、それからずっと日本に住んでいた。
韓国人と日本人の間に生まれた子どもが二重国籍になるのだが、いずれ韓国に帰国するつもりでいた父が勝手に韓国籍を選んでしまったそうだ。
そして、父はキムさんだったので、私も高校まではキムの苗字で通学していた。(大学からは母方の苗字を通称名として使用した)

その頃、イヤだったのは「キムさん」という名前だけで、好奇の目にさらされること。
周囲は名前を見るだけで、「日本人じゃないんだな。でも日本語が自然。なぜ?」という疑問をもち、質問してくる。
その度に説明することになる。「父は韓国人、母は日本人。私は日本生まれで、韓国語は話せません」と。
そんなわけで、初対面のときに名前を名乗るのが一番気が重かった。

仲良くなっていけば、韓国の血が入っているからという理由でトラブルになったことはない。
でも、クラスメイトには心ない子もいて、「韓国人なのに生意気だぞ」と言われたり、「やい、キムヒョンヒ」と言われたことは一度や二度ではない。
(当時起きた大韓航空爆破事件の実行犯のキムヒョンヒという名前だった)
ただ、苗字が一緒なだけなのですが・・・(笑)

本書に書いてあることで強く共感したのは、「子どもが差別的な思想を自然にもつとは考えにくく、その子の親であったり、周囲の大人がそういったことを言っているんだろう」ということ。
結局は、親の思想がそのまま子どもに強く影響するのだろう。

また、著者の息子も直面した、両親が違う人種だったとき、自分は何人なのだろうというアイデンティティのゆらぎ
私自身は、日本生まれで日本語しか話せないのに、韓国人であるというちぐはぐな状況だったので、なおさらでした。

今となってみると、違う国で育った両親をもったのはいいことだったと思っている。
外国に自分の血のつながった親戚がいて、違う考え方にふれられるのは面白い。

姉と私が小学校2年生、1年生だったとき、まったく韓国語ができないのに韓国に1ヶ月送りこまれたことがあった。
父の弟の奥さんが面倒を見てくれて、ご飯を作ってくれたり、従妹たちとプールに連れて行ってくれたりした。

そのおばさんは、韓国語がまったくわからない私たちに、ジェスチャーつきでずーっと韓国語で話し続けた。
これは、なかなかできることじゃないなと思う。
今、まったく日本語のわからない子を私が預かることになったとしたら、あまり多くの会話はできない気がする。
グイグイくるおばさんのおかげで、ひと夏で韓国語のヒアリングや、単語の勉強がけっこうできた。

結局、差別を受けた側が自分の境遇をどう受け止めているかが、差別的なことを言われたときの心を保ってくれるのだと思う。
日本における韓国は、残念ながらいい文脈で語られないこともある。
韓国を下に見るような発言を自然とする人にたまに出くわすが、それに腹を立てることはあまりない。
そんな発言を聞いたときは「差別的な考えの人なんだな」と思うだけで、自分の尊厳が傷つけられることもない。
もしかしたら、多様性のある人間のほうが強くなれるのかもしれない、なんて思う。

日本で日本人として生活していると、なかなかマイノリティの心境を理解することは難しい。
でも、この本を読むことで、イギリスの社会を、国の違う両親をもつ少年の気持ちを疑似体験できます。

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この記事を書いた人

池野 花

池野 花

人材系企業で求人広告の取材・ライティング、SEOコンサルティング会社で大手企業のオウンドメディアのコンサル・ライティングを経験。自分の取材好きを実感し、新たな出会いや経験を求めて独立。
知的好奇心をくすぐられる人を取材して、心揺さぶられたことを言葉にするのが特技。誰かの想いがうまく伝わらないときに、自分が言葉を翻訳して意思疎通ができたときに達成感を覚える。ライター業の傍ら、本好きが高じて「言葉」をテーマにした本屋カフネブックスを渋谷の隣り池尻大橋駅にオープン。「誰もが専門家」をビジョンに、自分が興味をもった専門家を招いて公開取材するイベントを開催している。