『世界は贈与でできている(近内悠太)』の感想<前編>

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こんにちは!
CafuneBooksの池野花です。

読書をした感想をポッドキャストで配信し、その内容を音声入力で書き起こし、ブログに書いています。

読んだ本は、『世界は贈与でできている』です。

著者である近内悠太さんは、この本がデビュー作だそう。
先日紹介した『ニュータイプの時代』や『武器になる哲学』を書いた山口周さんが、Twitterでこの本の感想をつぶやいていたのを見て、手に取りました。

本の前半部を読みましたので、この記事では前半の紹介をしたいと思います。

贈与とは

この本では、贈与を「お金では買えないもの、それを移動する行為」としています。
一般的に、贈与と聞くとプレゼントなどの物品をイメージしやすいですが、お金では買えないもの全般という広めの定義です。

私たちの住む世界には、贈与が実は多く存在している。
その理由は、人間の進化のプロセスにあると語られています。

人間はとても脳が大きく、進化の過程で二足歩行になったことで、産道が細くなった。
そのため、赤ちゃんは未熟な状態で生まれるという進化のプロセスを踏みます。
人間は哺乳類の中では最も難産だと言われていて、生まれてきたばかりの赤ちゃんは一人では生きていけない。

だからこそ、人間は強い社会的絆を結べる者が優遇する社会になった。
他者から贈与を受けたり、他者に贈与をしたりすることを前提として生きることを運命づけられているのが人間だと述べています。

人から贈与されたものは、特別な価値をもつ

人から贈与されるモノは、明らかに特別な価値をもちます。
たとえば、誰かから贈られた時計をなくしてしまったら、とても罪悪感をおぼえます。
でも、自分で買った時計なら、罪悪感をおぼえることはないでしょう。
同じモノを自分で買ったときとは特別な価値を、その時計はもっています。

私自身、このエピソードで思い出したのは、全然使っていないのに今も手元に残っている腕時計のこと。
小学校の時に父親から買ってもらった、サンリオのたー坊の腕時計です。
当時、とても腕時計がほしくて、いい成績をとったときに父親に買ってもらった思い出の品。
電池も止まっているし、使うことはないのですが、大事にとってあります。

贈り物を送る喜びは、その人との関係性が続いていくことを実感するから

贈り物を誰かにあげることにも喜びがあります。
なぜなら、贈り物を相手が受け取ってくれることは、これからもその人との関係性が続いていくことだから。
贈り物をあげると、相手は次はお返しをしようという気持ちになる。
つまり、相手が受け取った時点で、これからも何らかのつながりをもつことが確認できる。

このあたりまで読みながら、ひとつの事象から、どんどん話が掘り下げられていくなぁと思いました。
哲学者はこういう頭の構造なのか、なんて思いながら読み進んでいきます。

現代は、人を頼らずに生きていける世の中

贈与の特徴を示す例として紹介されていたのが、年老いた母を抱え、仕事がなくなり失業保険の給付が終わって、心中という選択をした男性の話。
その方が死を選んだ理由は、頼れる相手がいなかったか、頼りにできる相手がいても自分が相手に返せるものがなかったのでは。
たとえば、お金を借りるとしても、お金を返せるあてがなければ頼ることはできないと考えたのではないか、と推察されています。

しかし、実は私たちが一番つながりを必要とするのは、何も交換できるものを持ち合わせていない時ではないか。

現代は、お金があれば人を頼りにせずに生きていける資本主義の世界。
そして、誰にも頼ることなく生きていける世界は、裏を返せば自分も誰からも頼りにされることがない世界でもある。
なんだか、さみしい気がしますね。

贈与であることが相手に伝わるのは未来である

贈与が交換ではなく贈与であるためには、差出人は贈与したことを強調してはいけない。
強調すると押しつけになり、相手によっては呪いにもなってしまう。
親子関係ではそういったことが発生しやすいと述べられていました。

親が子どもを育てたり、経済的に金銭を負担したりすることは大きな贈与のひとつ。
しかし、親が「私がお金を出してるんだから、勝手なことをするんじゃない」などと言ってしまうと、子供にとっては「贈与を受けるためには、親の思い通りに生きなきゃいけない」という呪いになってしまいます。

サンタクロースは贈与者の代表格

もっとも知られている贈与者の例として紹介されていたのが、サンタクロース。
(サンタクロースは1930年代にコカコーラ社がキャンペーンとして生み出しているので、資本主義が生み出したものではあるが、現代の神話のような存在)

サンタクロースといえば、親がサンタクロースであることを隠して子どもにプレゼントをする仕組み。
サンタクロースが贈与者であるのは、親からの贈与だというメッセージが消されているから。

差出人である親からすると、贈与であることを子どもが知るのは、子どもがサンタクロースはいないと知ることになる未来。
そして、受取人である子どもは「自分の欲しいものを親がこっそり贈ってくれたんだ。ありがたかったな」と過去を振り返って贈与だと気づく。

つまり、贈与は差出人にとっては贈与だと知られるのが未来で、受取人にとっては過去を振り返って気づくという性質をもっている。
したがって、受取人が過去の出来事のなにが贈与だったかを知るためには、想像力だったり過去を振り返ったりする必要があり、贈与に気づく知性も必要となる。
そして、「自分はいろいろな贈与を受け取っていたのだと気づける人だけが、再び誰かに未来の贈与を差し出すことができる」と述べられていました。

このあたりを読みながら、「自分はどんな贈与を今まで受け取ってきたかな」とちょっと振り返りました。
たくさんありすぎて、すべてを振り返るのは難しいなと思いました。
もちろん親から受け取ってきた贈与はあるし、今まで勤めた会社や一緒に仕事してきた人たちからもいろいろと受け取ってきた気がする。
なにか教えてもらったり、面倒を見てもらったりした当時はそこまでわからなかったけど、今になって思えば自分の実になっているなと思えることは多い。

一番思い起こしたのは、私がすごく好きな、今でも親しい先輩のこと。
この先輩には、問題や課題にぶつかった時の感情の整理の方法を教えてもらった気がしています。
人事部門で働いている先輩だったので、たくさんの社員からいつも相談を受けている人でした。

仕事の悩みを相談するときは、いろいろな感情が渦巻いています。
実は、冷静に状況を整理すれば解決できるかもしれないのに、感情的にもうイヤという気持ちになっていたりする。

その先輩は、そういう込み入った状況を話を聞きながら、感情の整理を手伝ってくれる人。
先輩と親しくなったことで、その考え方のエッセンスを教えてもらった気がしていて、それが先輩からの贈与ではないかと思いました。

また、余談ですが、サンタクロースの話も懐かしいですよね。
我が家も、サンタクロースがいる体で、親がプレゼントを用意してくれていました。

ある年、私はプレゼントにワクワクしていて、なかなか寝つけず、ねぼけ眼で父がプレゼントを枕元に置いたのを見てしまいます。
翌日、「パパが枕元にプレゼントを置いてた気がする」と父に言ったら、父親はなかば怒りながら、「パパが駐車場でサンタクロースからプレゼントを受け取って、代わりに置いただけだ」と言いました。
その頃は私も単純だったもので、親が嘘をつくわけがないと思って、そのまま信じたんですよね。
今思うと、子供の夢を守るための苦し紛れの言い訳がちょっと微笑ましいなぁと思いました。
また、子どものいる友人から、「クリスマスの翌朝にプレゼントをもらって喜んでいる子どもを見るのが、親もすごく楽しみだ」という話を思い出し、贈る側の幸せも確かにあるのだなと思いました。

本の感想は、こちらのポッドキャストでも話しています。
Youtubeも音声のみですが、アップしています。

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この記事を書いた人

池野 花

池野 花

人材系企業で求人広告の取材・ライティング、SEOコンサルティング会社で大手企業のオウンドメディアのコンサル・ライティングを経験。自分の取材好きを実感し、新たな出会いや経験を求めて独立。
知的好奇心をくすぐられる人を取材して、心揺さぶられたことを言葉にするのが特技。誰かの想いがうまく伝わらないときに、自分が言葉を翻訳して意思疎通ができたときに達成感を覚える。ライター業の傍ら、本好きが高じて「言葉」をテーマにした本屋カフネブックスを渋谷の隣り池尻大橋駅にオープン。「誰もが専門家」をビジョンに、自分が興味をもった専門家を招いて公開取材するイベントを開催している。